正受院
しょうじゅいん
解説
学仙坊という僧侶が霊夢によって武蔵国に来て、瀧のあるのを幸いに開いたといわれます。本堂左側には、江戸時代後期の探検家として知られ、多くの書物を残した近藤守重(通称:重蔵)の甲冑像があります。
また、戦後亡くなった胎児・赤ん坊の納骨堂を作り供養をしていることから、「赤ちゃん寺」とも呼ばれています。
石造近藤守重坐像(せきぞうこんどうもりしげざぞう)
近藤守重(通称:重蔵)は、現在の千島列島から北海道までを探検し、 北方交易の海商・高田屋嘉兵衛の協力で、択捉(えとろふ)島の開発に尽力し 「大日本恵土呂府」という標注を建てた人物です。
守重は文政5年(1822)から4年間、正受院の東隣に滝野川文庫という書斎を設けて住んでいました。 この坐像は甲冑に身を固めていますが、択捉島に渡る際もこのようないでたちだったといいます。 また、製作には江戸派の画家・谷文晁(たにぶんちょう)の下絵を依頼して作られたと伝えられています。
不動の滝跡(ふどうのたきあと)
王子七滝の一つ、不動の滝は千流の滝とも呼ばれ、正受院本堂の裏から坂道を下った石神井川の岸にありました。 正受院を学仙坊という僧侶が開いた年に、その僧が石神井川から不動の霊像をすくい上げ、 滝のかたわらに安置したのが名前の由来です。
説明板 | 北区教育委員会設置文化財説明板/不動の滝跡、石造近藤守重坐像 |
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所在地 | 滝野川2-49-5 |
連絡先 | 03-3910-1778 |
開館時間 | 9:00~17:00 |
行事 | 花祭り(釈尊降誕祭) 4月初旬 14:00~16:00 花御堂に甘茶を注いでお祝い。子どもを対象にパネルシアター、影絵、大道芸など毎年楽しい企画で催される。 写経会 毎月4日(1・8月は休み)14:00~ |