清光寺
せいこうじ
解説
清光寺は、源平双方から頼りにされた中世の豪族・豊島清元(清光)の開基で、 一人娘が逝去したときに冥福を祈り、領地の一隅に建立したと言われています。
豊島氏の持っていた領地は広く、上中里の平塚神社も かつて豊島氏の館があった場所です。
豊島氏は平安時代後期以降に成立した武士団で、本来は秩父盆地を本拠とする桓武平氏の一族です。 また、豊島氏は紀伊国や熊野三山との師檀関係を受け入れ、中央文化を積極的にとりいれたことから 田楽などの民俗芸能が伝わり、王子田楽として現在も演じられています。
しかし室町時代に入ると、鎌倉府の内部が分裂し、 関東公方(かんとうくぼう)と関東管領(かんとうかんれい)上杉氏の対立が激化し、 豊島氏など在地武士団にも大きな影響を与えます。
文明8年(1476)に長尾景春が主君に山内上杉顕定(やまのうちうえすぎあきただ)に 謀反したため、景春に味方した豊島氏は平塚城(現在の平塚神社にあったと言われる)と石神井城で、 江戸城・川越城を本拠地とする太田道灌と対立することとなりました。 そして文明10年(1478)、江古田・沼袋の戦いで道灌に敗れついに滅亡し、 今ではこの清光寺と豊島という地名が残っているばかりです。
本尊は不動明王像で、行基に彫らせた豊島七仏の一つと伝えられています。 この他、頼朝の幕府創業に参加し「吾妻鏡」などにも名の見られる清光自身の木像(1742年作・北区指定有形文化財)も安置されています。
※土日・祝日の本堂内の見学は事前に電話にて連絡が必要。
所在地 | 豊島7-31-7 |
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連絡先 | 03-3914-7794 |