船方神社

ふなかたじんじゃ

解説

神亀二年(725)の創設とも伝えられていますが、嘉永六年(1853)の火災により、 すべての記録が失われました。古くは本殿の右脇十二天塚があることから、「十二社」と呼ばれていました。 明治12年に今の名称に改名されました。

言い伝えでは、この地域の荘園主 豊島清元(清光)が、熊野権現に祈願して授かった一人の姫が、成人して足立少輔に嫁いだのですが、 そこで心ない仕打ちを受け、荒川に身を投げてしまいました。その時姫に仕えていた十二人の侍女たちも 姫に殉じました。十二天とは、この十二人の侍女のことです。それと同時に熊野信仰での十二社とも関連があると 考えられています。

説明板北区教育委員会設置文化財説明板/船方神社の十二天塚
所在地堀船4-13-28

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